目 次

ユートピア概論
  ユートピアとは
  伝説のユートピア
  創造されるユートピア
  実現されるユートピア

ユートピア伝説の探求
 1.古代アマゾン文明
 2.古代アトランティス大陸
 3.レーリッヒのシャンバラ探求
 
4.ナチスと地底王国アガルタ
 5.ギリシャの理想郷アルカディア

創造されるユートピア
 1.トルストイの「イワン王国」
 2.宮沢賢治のイーハトーブ
 3.宮崎駿のユートピア文学
 4.国宝美術作品の理想郷図
 5.ジャック・フレスコの未来都市

ユートピア実現の試み事例
 1.ピューリタンの民主主義社会
 2.クエーカーたちの理想都市
 3.シェーカーズ教徒村
 4.イエズス会のミッション
 5.ユートピア社会主義者の夢
 6.オーウェンの協同組合
 7.フリエの生産・消費協同社会
 8.ロシアの農民ユートピア国
 9.ガンジーのインド独立国家
 10.武者小路実篤の「新しき村」
 11.毛沢東の「人民公社」
 12.伊藤勇雄の人類文化学園
 13.農大生たちの「杉野農場」
 14.ブラジルの弓場農場
 15.シュタイナー「ひびきの村」
 16.ヤマギシ会「ヤマギシの村」
 17.脱日本運動の「ノアの方舟」
 18.パラグアイのメノニータ社会
 19.モルモンの理想郷ユタ
 20.アドベンチストの学園村
 21.イスラエルのキブツ
 22.エホバの証人の地上天国
 23.デンマークの共同体
 24.ヒッピーの生活共同体
 25.マレーシアのイスラム村
 26.ドイツの学生生活共同体
 27.南米の理想郷「インカ都市」
 28.万国の架け橋「琉球王国」
 29.理想的未来都市ブラジリア
 30.ユートピア的首都計画 
 31.アラブ人の理想都市ドバイ
 32.宇宙空間のユートピア計画
 33.ユートピア的企業例:トヨタ
 34.ユートピア的企業精神:松下
 35.ユートピアを模索する産業
 36.ユートヒ゜ア商売のリゾート産業
 37.フィンドホーン共同体
 38.光の都市ダマヌール
 39.生産勤労共同体:共働学舎
 40.共生共存企業:わっぱの会
 41.無所有奉仕共同体:一燈園
 42.小さな共同社会:癒しの郷
 43.宗教的社会福祉企業大倭教
 44.いのちの村プロジェクト
 45.理想的社会造りのNPO

ユートピアの条件:自給自足

 1.自給自足の生活と概念
 2.自然農法、有機、無農薬他
 3.自給自足を目指した試み
 4.本サイトの結論


作者の他のサイト

ラテンアメリカはいかがですか
ブラジル  パナマ
国際サバイバル道場


2003年2月25日より









関連サイト
1.アトランティス大陸
2.謎の大陸「アトランティス大陸」について 3.フリー百科事典ウィキペディア「アトランティス」


 牧歌的な楽園アルカディア 


 理想的田園の代名詞


 ギリシャのペロポネソス半島中央部の農耕に適さない貧しい山岳地帯だが、後世、牧人の楽園との伝承が生まれた。古代アルカディア人の住地で、牧畜を主とし、マンティネイア、テゲアなどのポリスがあった。前4世紀にはアルカディア同盟が成立し、中心地としてメガロポリスが建設された。

 ユートピア・理想郷・牧歌的な楽園・理想的田園の代名詞的な意味は、楽園伝承から生じた。現代文明とは一線を画し、自給自足生活を中心とする共同体」という意味にまで拡大してアルカディアという語を使ったりされています。



 現代におけるアルカディアとユートピア的思想


 テレビの紀行番組でアジアやアフリカの奥地で暮らしている少数民族の社会が紹介されることがありますが、私はそうした社会もアルカディアに含めて考えています。一昔前には「未開社会」という差別的な語が用いられていましたが、今ではそこに「開発された社会」(先進国)には見られない「生の充実」を感じ取る人も少なくないと思われます。実際、最近流行の「スローライフ」とか「オルタナティヴな社会」ということで一般的に求められているのは、近代化以前の生活や社会であるような気がしています。その意味において、アルカディアは人間にとって一つの「理想社会」であることは間違いないと言えるでしょう。

しかし我々は近代化(もしくは現代文明)を否定して、アルカディアへと戻ることができるでしょうか。確かに近代化が地球そのものを破滅に導いていることからすれば、このままでいいわけがなく、「自然に還れ!」というルソーの言葉はますます力を得ていくことでしょう。しかし、繰り返し述べているように、現代人はもはやアルカディアへと後向きに戻ることはできない、と私は思っています。この点、よく誤解されるわけですが、私はアルカディアそのものを否定するつもりはありません。そもそも先に触れた少数民族の社会などが実在している事実からしても、アルカディアを否定することなどできないでしょう。「アルカディアへと後向きに戻ることはできない」という私の認識は、あくまでも近代化の洗礼をうけた「現代人の生き方」の問題です。

勿論、ソローのように、現代文明に背を向けて「森の生活」を求める「現代人の生き方」もあります。これを「アルカディアへと後向きに戻ろうとする試み」と見做すかどうかに関しては議論の余地があるでしょう。この問題についてはこれから時間をかけて述べていくつもりですが、私の基本的立場は「現代人にとってアルカディアの没落は不可避だ」というものです。更に逆説的に言えば、「現代人が失われたアルカディアの理想を回復するためには、ユートピアの創造しかない」と思っています。これが私の基本テーゼに他なりません。



 現代人における「アルカディアの没落」を論じるために、私はアルカディアの意味を通時的と共時的の二つに分けようと思います。それは次の通りです。

通時的アルカディア―各民族の歴史の古層にある理想の共生状態
共時的アルカディア―現代において、近代化から取り残された人々の営む共生状態

具体的に言えば、通時的アルカディアは始源の楽園であり、共時的アルカディアは未開人(この言葉は不適切かもしれませんが、「未だ開発されていない」という文字通りの意味だけで使いたいと思います。差別的な意味合いのないことをご諒承下さい)の社会です。勿論、両者における「アルカディアの構造」自体に差異はありません。すなわち、エリアーデの構造主義的な宗教学に基いて、通時的アルカディアに生きる人間を「古代人」(archaic man)と称するならば、共時的アルカディアに生きる未開人は現代の「古代人」だと言えるでしょう。その意味において、「アルカディアの構造」とは人間的生の「祖型」(archetype)に他なりません。

さて、様々な「楽園喪失の神話」が示しているように、古代人が「始源の楽園」を失うのは一つの運命です。それは人間実存から「祖型」を失う悲劇(原罪)ですが、同時に人間に智恵(文明)をもたらしました。非常に大雑把に言えば、そうした両面価値的(ambivalent)な運命が現代人を生んだと見做すことができます。

何れにせよ、通時的アルカディアの喪失とともに自らの「祖型」をも奪われた現代人はニヒリズムに陥っています。確かに、恰もそうした喪失と引き換えに発展させてきたかのような科学技術文明の御蔭で、現代人の生活は古代人のそれに比べて遥かに豊かになりました。しかし、それは果たして「本当の豊かさ」でしょうか。月並みな言い方をすれば、物質的に豊かになればなるほど、精神的にはむしろ貧しくなっていくと感じる人も少なくないでしょう。その時、共時的アルカディアが現代人にとって一つの救いになると思われます。では、共時的アルカディアは現代人のニヒリズムを真に克服できるでしょうか。

 振り返ってみれば、学生時代から「ニヒリズムの克服」をテーマにしてきた私にとって、共時的アルカディアは一つの壁のようなものでした。と言うのも、私はエリアーデの「古代人―近代人」という対立図式に基いて思耕してきたからです。周知のように、エリアーデによれば、現代人のニヒリズムは近代の歴史主義に発するものであり、それは古代人の宇宙論を反復することによって克服されます。私のこれまでの思耕は、こうしたエリアーデのテーゼに対する挑戦だったと言えるでしょう。

 確かに古代人の宇宙論には「生の充実」があります。そして現在、それは共時的アルカディアに見出すことができます。しかし、そこで生活している未開人は、その精神性において、現代人と言うよりも古代人と言うべきでしょう。勿論、これは差別ではありません。あくまでも未開人の実存に現代人が失った「野生の思考」が未だ息づいているという意味で言うのです。私は共時的アルカディアのリアリティを決して否定するものではありませんが、現代人がそこで生活するためにはその現代性を脱ぎ捨てる必要があると思っています。言い換えれば、現代人が現代人のままアルカディアで生活することは不可能だということです。「現代人にとってアルカディアの没落は不可避だ」というのは、そういう意味です。

アルカディアと現代人
根本テーゼ:かつてムラはアルカディアであった。しかし新しき村はもはやアルカディアではあり得ない。新しき村はユートピアとしてのみ実現する。

私は以前に、アルカディア(ムラ)からユートピア(新しき村)に至る過程を「円環―直線―螺旋」の弁証法として述べました。(http://www5a.biglobe.ne.jp/~atarasi/muraron/ronkou11.htm ) 今、それを繰り返すことはしませんが、重要なことは螺旋は円環と直線の対立の止揚であり、ユートピアはアルカディアの「前向きの反復」だという点です。

また、「アルカディアが自然楽園であるのに対して、ユートピアは人工楽園だ」という私の主張から、ユートピアという言葉で手塚治虫が描くような未来都市を連想されるかもしれませんが、私のユートピアのヴィジョンはむしろ田園に近いものです。ただし、その田園は「人間的に再構成された自然」であり、言わばムラと近代都市の逆説的統合に他なりません。

何れにせよ、少なからぬ人たちが農的暮らしを見直して帰農を志している現在、アルカディアが現代人にとって一つの希望となっていることは間違いないと思います。問題は、その「希望の原理」です。

アルカディアの問題点
アルカディアはかつて実在しましたし、今も世界の各地に点在しています。それに対して、ユートピアは未だ存在していません。私にとっては「ユートピアの創造」こそ問題中の問題ですが、その前にアルカディアの問題点について考える必要があるでしょう。

現代人がアルカディアを「究極的な理想社会」と見做せない理由の一つは、その閉鎖性にあります。先日の木曜会でAさんが「人間にとって堪え難いのは貧しさそのものではなく、等しくないということだ」と発言されていましたが、確かにその通りでしょう。具体的に言えば、「終戦後の皆が等しく貧しかった時代には、貧しいことはそれほど苦痛ではなかったが、やがて社会が少しずつ豊かになり、隣の家はテレビを買ったが、自分の所は未だ買えない…というような事態になった時に、貧しさが苦痛になる」ということです。アルカディアについても同じことが言えるのではないでしょうか。すなわち、外部と隔絶された世界の片隅で皆が平等に暮らしている限りアルカディアは維持されますが、外部の物質的に豊かな社会との接触が始まると同時に、アルカディアはその崩壊の一歩を踏み出すのです。私は以前に、そうした事情をドストエフスキイの「おかしな男の夢」という作品に基いて述べたことがありますが、もはやアルカディアの理想は言わば「鎖国の天下泰平」にすぎないと思われます。

尤も、「鎖国の天下泰平で何が悪い!」という意見も当然あるでしょう。確かに、「鎖国であれ孤立主義であれ、平和が維持されるのなら、それでいい」というのも一つの立場ではあります。しかし、いくら鎖国の存続を願っても、黒船の到来は避け得ないのではないでしょうか。その意味において私は、現代においてアルカディアをそのまま維持することは不可能だ、と思うのです。